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パリ銃撃事件に寄せて

  • 2015/11/21(土) 15:54:47

こうした事象が起きる度に思うことは、
‘問題は複雑で途轍もなく大きく、できることは小さく限られている’、ということ。

なにせISISやアルカイダの起源は1970年代のアフガン戦争まで遡るものであり、シリアではイスラム教シーア派とスンニ派が敵対し、中東のイランやイラクの油田を巡っては、欧米が各部族や組織に武器供与を行い時の政権と結びついて対立構造を煽り、資源を搾取してきた歴史があります。

こうした複雑に絡み合った歴史・政治・宗教的な現状を紐解いていくことは、地勢的・習慣的に近い者でも困難であり、まして我々日本人のように距離的にも遠く、宗教観を持たない立場では一定の共感を示すことすら覚束きません。

となると、学者でも政治家でもスターでもない私にできることは、一つもないのでしょうか。
関心を持とう、考えようと声を上げるだけ?

それじゃああまりにも切ないので、私なりに足りないアタマでできることを考えました。
一つには当事者の身になってみること。
今回テロを行った若者たちについてです。

あくまで想像ですが、彼らは親兄弟がなく(殺されたこと含め)、教育がなく、金銭がなく、仕事がなく、未来への保証も希望もなく、愛情を知りません。そして無知なうえ、不安で空虚な心に付け込み、過激な思想を植えつけられ、戦闘訓練を積まされた上でテロ行為に赴くのです。

一方で、家族や友人に恵まれ、教育を受け教養があり、仕事と安定した収入があり、好きな異性がいて、今夜のアニメが楽しみで、来月のアーティストのライブを心待ちにし、太るのを気に病むくらい食料に溢れている。
こんな人間は腹に爆弾を巻いて、人ごみで自爆したりしませんよね。

両者のあいだに横たわるものは何か。
すでに言われていることですが、私はこれを『21世紀の資本』のトマ・ピケティよろしく、<格差と貧困>問題として、大枠で捉えていけると思うんです。

複雑な政治・宗教事情、すでに起きてしまったテロに対する感情的な恐怖や怒りが目を曇らせがちですが、この問題を‘恵まれたものとそうでないもの’として視座を変えることで、事件を早々と風化させてしまう我々にも、日常の中でできることが出てくると思うのです。

<格差と貧困>は国家や民族の問題だけでなく、身近に潜んでいます。
 たとえば日本の子どもの貧困率は15%とOECD34ヶ国中10番目に高い水準です。生活保護の捕捉率は20%と言われており、支援が必要な人に手が届いていません。介護保険の施行は2000年ですが、それまで介護を必要とする方への行政的な支援は一切ありませんでした。この法律の成立を後押ししたのは、介護を必要とする人の家族のたゆまぬ運動によってです。

他にもたとえば友達が少ない人、病気や障害を抱える人、子育てで孤立する人、会社や学校に馴染めない人、他者から見えない、理解されないハンデに悩む人、勉学が追いつかない人、正職員になれない人。

ここまで落とし込めば、<格差と貧困>の問題が、我々にも手を差し伸べられそうな領域になってきたとは思えませんか?

パリで起きたテロとはかけ離れてしまうかも知れません。
しかし遠く離れた国の出来事に、誰もが介入できるわけではありません。こうした事件が起きた時、自分とは関係がないと思い込もうとしたり、無力感に苛まれたりするより、‘自分の立場で今できること’を考え実践する方が、少なくとも身近な人の幸福に繋がっていくのではないでしょうか。

‘近頃は物騒だ’などと言われる昨今ですが、
現在の日本は凶悪事件の件数は一貫して減少しており、世界的に見ても殺人の件数、戦争の頻度は人類史上最も少なくなってきています。国内の格差は広がりましたが、グローバル格差は縮小しています。異論はありましょうが、人類は今最も‘いい時代’を、現出させているのです。
こうした前進を可能にさせたのは、テクノロジーでも革命家でもなく、何よりも一人ひとりの意思です。

自分の小さな行動が、少しでも理不尽な悲しみの少ない未来に繋がると信じ、この拙い文章を結びます。

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